気ままにダンス。

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響け!ユーフォニアムから考える、「敗北する」ということについて。

こんにちは。
先日、響け!ユーフォニアムの映画3本を連続して上映している映画館をたまたま見つけまして。

劇場で観たことはなかったので、折角なので観てきました。

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作品を通して観ている中で、改めて深く感動しました。

そして、個人的にこのシリーズのテーマとなっているように感じたのが、「敗北」についてです。
そこで、敗北する、ということはどういうことなのか、少し考えてみたいと思います。
このブログではこういった考察系のことはあまりやってきませんでしたが、初めて挑戦してみるので、拙い文章になるとは思いますが、よろしければお付き合いいただければと思います。
ちなみに、ネタバレ全開でお送りさせていただきます。

 

まず、全編を通してキーワードとなっているのが、「悔しくて、死にそう」という台詞。
麗奈、久美子、奏が発言しています。
これは部活など何かに熱中したことがある方なら経験したことが多いのではないかと思います。
私にも覚えがあります。
どうしても勝ちたくて、それに向かって努力をして、その上で敗北を喫したとき、悔しくて死にそうな気持ちになります。
頑張って、頑張って、それでも負けてしまうことは、一般的には珍しくないでしょう。
何事においても勝者より敗者の方が圧倒的に多いのではないかと思います。
その敗北の描かれ方がとてもリアルなんです。


このアニメでは様々な形で「敗北」が描かれてきました。
最序盤、全国を目指していたのにダメ金だった麗奈。
受験を理由に部活を辞めた葵。
秀一にフラれた葉月。
オーディションで落ちてしまった夏紀や葉月。
ソロを麗奈にとられてしまった香織。
辞めたことに後悔しかない希美。
親の言いなりになってやりたいことが出来なかった麻美子。
同じく親に言われるがままやりたいことが出来ず自分の気持ちを隠していたあすか。
そして、全国大会で銅賞で終わった北宇治吹奏楽部。
テレビシリーズだけでもこれだけの敗北が重ねられています。
もっと言えば久美子たちが入部する前に辞めた先輩たちは不戦敗とも言えるでしょう。
しかし、彼女らには恐らく敗北の意識はなかったと思います。
それは、敗北というのは悔しいという感情から生まれるものだと思うからです。
それがなければ、そこにあるのはただ上手くいかなかったという事象だけ。
自分がそのように捉えようしなければ、それは何にもなることはありません。

 

少しだけ自分語りをさせてください。
私は、大学時代の部活で、本気で悔しくて泣いたことが2回だけあります。
1回目は、後輩に負けて、その子が活躍しているのを目の当たりにしたとき。
2回目は、最後の全国大会で、勝てなかったとき。
それまで、私にとって負けることは珍しいことではありませんでしたが、悔しいと思ったことはありませんでした。
それが当たり前だったから。
また勝てなかった、そう思っていた自分がいました。
しかし、自分を支えてくれる人たち、その人たちが本気で応援してくれているのを改めて実感したとき、後輩に負けるということが私に重くのし掛かってきました。
その時、本気で泣いてしまった。
恐らく、人生で初めて、悔しくて泣きました。
そんな箸にも棒にもかからなかった私が、それを契機に努力を重ねた結果、最後の関東大会ではそこそこ良い成績を残すことができました。
それは私にとって出来すぎなくらいの結果で、部の仲間も皆で喜んでくれました。
それを経てからの全国大会。
今までは勝てなくて当然だったのに、そんな全国で歯が立たなくて、私は泣きました。
今まで泣けなかった分を取り返すかのように、大泣きしました。
それが、私の悔しくて死にそうな経験です。
一度勝てたからこそ、勝利が身近に感じられたからこそ、その裏側にある敗北も今までにないくらい身近に感じられてしまったのです。

 

話を戻します。
先程も述べたように、このアニメにはたくさんの敗北が散りばめられています。
それに気が付かないまま終わってしまう人、悔しさを知って敗北だと気が付く人に別れています。
それを知ったときの久美子の台詞が、印象的な「上手くなりたい」です。
あの瞬間、久美子は明確に敗北し、そして勝利を目指すようになります。
敗北する、ということがただ物語に緩急をつけたいからだけでなく、物語にリアリティを加え、キャラクター性を彩っている、そんな印象を受けました。
ドロップアウトしてしまうか、最後まで本気になれるか、それは敗北を知ることが出来るかどうかの違いで、久美子の場合は麗奈と出会い、彼女に感化され感銘を受けてそれを知ることが出来たのだと思います。

どこかで奏は麗奈と出会うことの出来なかった久美子だ、という考察を見ました。
一歩引いた目線で、冷めた感情で部を見て、自分が傷つかぬよう波風立たせることのないよう立ち振る舞う。
確かに、あまり踏み込まずにいるのは、とても楽なんです。
敗北を知らない限り、傷つかなくて済むのですから。
奏本人も、久美子が自分と同じだと思っていた、と言うシーンがあります。
でも、久美子は麗奈と出会ってしまった。
そして、奏は今の久美子と出会ってしまった。
それを経て、彼女が最後に心の底から叫ぶ「悔しくて、死にそうです!」という台詞は、私の心に響きました。
そしてその台詞が鍵となり、その瞬間、彼女は本当の意味で、ようやく北宇治高校吹奏楽部の一員として始まることができたのだと思います。

 

では、「敗北する」ということはどういうことなのか。
私は、敗北を知ることで成長することが出来るのだと思います。
ただ敗北するだけではなく、それを自分で認識し、それを悔しいと思うことで敗北だと知り、そうすることで次への糧とすることが出来るのだと思います。
自分が悔しいと思えるくらい頑張れていないなら、そう思えるくらい熱中していないなら、その敗北からの成長はありませんし必要もないです。
個人的には物事に取り組む際には気持ちが伴っていることが重要だと考えており、それがないのなら別の自分が入れ込めることを探すべきでしょう。
しかし、そこで悔しいと思ったのならば、悔しくて死にそうだと感じたのならば、必ずそこから立ち上がれる。
更に大きな人間となって再び帰ってくることが出来る。
だって悔しいと思うくらい頑張ることが出来たのだから。


久美子の言葉に似てしまいますが、頑張っている人間はやはり報われるべきだと思います。
頑張っても頑張っても勝てないときは、相手は自分より頑張っているというだけの話です。
頑張って、失敗して、更に頑張って、それでも失敗したなら、それ以上に頑張ればいいんです。
悔しい、という気持ちは自分を立ち上がらせてくれます。
だから「悔しくて、死にそう」という台詞が作品で鍵となり、それを起点に彼女たちは変わっていくのです。
練習して、練習して、でも勝てなくて、悔しくて、だから更に練習して。
そして、次の曲が始まるのです。

 

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