気ままにダンス。

主に聖地巡礼、他にも色々、そんな日記。

【シャニマス】駄文、キャスト版MVは出してほしくなかった話。

こんにちは。
今回の記事は、まあタイトル通りなのですが、またシャニマスくんへの不満です。
というか失望というのか。
なんだろう、その辺りを整理しながら書いていきたいです。

キャスト版MV。
ラブライブではよくあるらしいのですが、恐らくアイマスでは初めてかなと。
それは、恐らくコンテンツとしての方向性の差にあると思うんですよね。

ラブライブ!、特にLiella!についての言及なのですが、今年のリスアニで見た時に「アイドルと声優を合わせて22人でLiella!である」という趣旨のことを仰っていたかと。
私はLiella!を見たのが、恐らくそのタイミングが初めてだったので、なかなか面白いことを言うなと思いました。
その後、周りのオタクからLiella!の話を聞き、コンテンツのグッズとして声優のアクスタを出したり、雑誌の表紙を声優自身がLiella!として飾るなど、確かに表裏一体の存在として活動しているようです。
心なしか、Liella!を好きなオタクは担当声優も一緒に推している傾向が強いように感じます(周囲のオタクが偏っているだけかもしれないが)。
この、キャラと声優を同一視する戦略は、企画が動いた段階から既に声優が決まっており、常に二人三脚で活動してきたコンテンツならではのものでしょう。
それ自体はアイマスと共通する点ですが、決定的に違う点があります。

そもそも前提として、アイドルコンテンツに対する声優の認識は複数あると思っています。
例を挙げるとすれば「声優が好きだけどそのを経由してキャラにも興味がある」「声優は二次元コンテンツであるキャラを三次元に降ろすための出力装置である」「キャラは好きだし声優も好きだしその二つは同じ存在である」などでしょうか。
この三つ目が先程触れた事例で、私のスタンスは二つ目です。
ドラマの俳優が演じている役そのものにはなれないように、声優も役そのものにはなれません。
俳優はその全身を使って演じるのに対して声優は声だけなので、むしろ俳優よりも遠い場所にいるかもしれません。
だから良い、だから悪いということではありません。
それはあくまでそういう仕事だというだけのことだから。
声優はあくまでキャラクターに声を吹き込むのが仕事だから。
その上で、キャラクターという二次元から出られない存在に代わり、ライブでは衣装を纏って歌って踊る、それは声優という職業の範囲が広がった今、特におかしなことではないでしょう。

ただ、それはあくまでも代理。
あくまでも出力装置。
本人ではない。
ライブでどれだけ盛り上がったとしても、それは本物ではない。
その"本物"を見ることができる日が来ることはありませんが、だからと言って代理人は本人にはなれない。
アイマスMRなど限りなく本物に近いものも最近ではありますが……それはまた別の話)
その前提があるからこそ、私はライブを楽しむことができていたのに、「キャラができないことを声優がする」のではなく「キャラが踊っているPVと同じように声優がPVを撮る」のは因果が逆転してしまっているようにしか感じない。
キャラができないことをするために声優がいるのに、キャラが既にできていることを声優がするのでは、それはただ声優ファンに向けて作られたものでしかない。
コンテンツのファンではなく、声優のファンに矢印が向いている。
嫌な言い方にはなりますが、アイドルマスターシャイニーカラーズというアイドルコンテンツとして見た時にこれを声優自身が踊らなければならない理由がないんです。
そしてここにLiella!との差があり、コンテンツにおけるキャラと声優の距離感、立ち位置が全然違うんです。
今後はアイマスもそういう方向に舵を取るつもりなのかもしれませんが、少なくとも今現在は違うし、そういうコンテンツになったアイマスを好きでいられるかは分かりません(良い悪いではなく合う合わないの話)。
だからやめてほしいなと、いちオタクとしては思います。
そこは経営とかに関係ないただの消費者が口を出せる範囲ではありませんが、とにかく残念だなと、思った話でした。